STORYSHO Kizaki

小説『帝王』より、帝王のストーリーをお届けします。

#002-8 野球この数ヶ月間、翔の心の奥で疼いていたのは、このことだった。このままトラックの運転席でハンドルを握る人生でいいのか…。 『俺はまだ若い。もっと色んな人と知り合い、触れ合って世界を広めたい』 『もっと自分に合った仕事、自分が熱くなれる世界があるんじゃないか』 『金よりやり甲斐のほうが大切だ』 トレーラーの運転手をやろうか、ホストをしようか迷ったが、トレーラーは免許があるので、いつでも乗れるし、稼げる。人と知り合い、触れ合える仕事をしよう、それには接客業だ――短絡的だが、そう思った。早速買った求人誌には、様々な職業が載っていた。その中で翔の目に止まったのは『ホスト募集』の文言だった。

2021.07.04

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#002-7 野球トラック運転手としてステップアップするに合わせて給料も上がり、20歳(ハタチ)の時、木屑を運ぶチップ車と呼ばれる大型トラックを運転する翔の給料は50万円を超えていた。この頃、翔は金銭的にも満たされ、仕事の中に責任とやり甲斐を見出すこともできていた。しかし同時に、何か物足りないもどかしさが―焦りにも似た疼(うず)きが胸の奥に巣食い始めているのを感じていた。 それが何なのかに気付いたのは、チップ車に乗るようになり1年が過ぎた頃だった。その日、翔は荷積みして京葉道路を走っていたところ、無線を通じて男の声が入ってきた。トラック運転手の間では、長距離運転の退屈しのぎや眠気覚ましのために、無線を使って見知らぬ物同士が会話をするという業界特有のコミュニケーションがある。 翔はいつも通り、その会話に付き合っていた。だがその時、ふいに気付いた。自分の生活の中で、直接、顔と顔を向き合わせて会話をすることがいかに少ないかということを。こうして無線を通じて顔も知らない人と話している時間がなんと長いことか。 業界に馴染めば馴染むほど、その度合いは高まり、誰とも顔を合わさず、無線だけの会話で1日が終わることもある。この仕事をずっと続けたら人と知り合う、触れ合う機会はどんどん減っていくだろう。それでいいのか…人と知り合わなければ、世界がどんどん狭くなる…それでいいのか。

2021.07.04

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#002-6 野球富士井電機を半年で辞めた翔は、幼なじみの大平の父親が経営する運送会社でトラックの運転手として働き始めた。 野球ができる機会は地元の草野球で月2回程度に減ってしまったが、それまで工場の中に籠(こ)もって仕事をしていた翔にとって、見知らぬ土地に行けるトラック運転手という仕事は新鮮だった。給料も格段に良くなったし、何よりも高い位置にある運転席からの視界は気分が良かった。 最初は普通免許でも運転できる2tトラックで東京近郊に一斗缶を運んでいたが、次第にもっと大きなトラックを運転したくなった。入社から半年経つ頃には、大平社長に他の運送会社を紹介してもらい、そこで4tトラックを運転するようになった。 それを運転しているうちに、さらに大きなトラックを運転したくなり、大型とけん引、大型特殊と3つの免許を取ると1年後、またも紹介してもらった別の会社へ移った。

2021.07.04

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#002-5 野球だが、翔は文句を言うことはなかった。他にしたいことがない以上、この仕事をするしかないと思っていた。そして「どうせやるならキッチリした仕事をしなければ」と自分に言い聞かせていた。 そんな生活が半年続いたある日、翔はあることに気付いた。それは自分と同じようにベルトコンベアーに向かっている作業員たちが、自分の両親と変わらない歳の人たちばかりだということと、パートのおばちゃんでもできる仕事だということを。 その瞬間、翔の脳裏に、その歳になった自分が今と同じ場所で同じ様に青いつなぎの作業着を着て働いている姿が浮かび、愕然とした。誰にでもできる仕事を今やらなくてもいいのではないか。そして、自分もあの歳になるまで、こうして毎日を過すのかと思った途端、感じたことのない将来への不安が心の中に広がった。

2021.07.04

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#002-4 野球卒業を控え、自分の行く先が見つからなかった翔は、高校の就職課の勧めに従い、流されるままに電子部品メーカー「富士井電機」の日野工場に就職することにした。選んだ理由はただ1つ、実業団野球があったから。先は見えずとも、野球が好きだという気持ちだけは萎(な)えなかったのだ。 こうして翔の社会人生活は週2回、午後6時から8時までの野球を中心に始まった。実業団野球の大会では、東京ドームのピッチャーマウンドを踏んで感激した。自分が憧れた幾多の名選手たちが立った場所に自分も立っている、と。 しかし、充実する野球生活とは裏腹に、工場での仕事は変化のない単調なものだった。朝9時から夕方5時までベルトコンベアーに乗って流れてくる部品を、ただ黙々と組み立てるだけ。それに加えての薄給。

2021.06.15

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#002-3 野球学生時代の、とりわけ高校時代の翔は、お世辞にも教師に気に入られる様な生徒ではなかった。とにかく勉強嫌いで、教壇で話す教師の声は子守唄以外の何物でもなかった。当然、成績は学年でも下から数えた方が圧倒的に早かった。 カンニングが見つかり停学処分も受けた。学校で禁止されているアルバイトも隠れてやった。パチンコ店の店員だ。それを偶然、パチンコをしに来た担任教師に見つかり、またも停学。学校に届けを出さずにバイクの免許を取ったのがバレて、またまた停学…。 悪(ワル)の不良という訳ではなかったが、間違いなく優等生ではなかった。しかし、早退することはあっても遅刻することはなかった。遅刻するということは、なんだかだらしないことの様に思えたからだ。小・中・高と12年間、遅刻したことがないというのが密かな自慢だった。 翔がそんな信念を持っていることなど周囲の誰一人として知らなかったが、とにかく、学生時代の翔は熱く吼えるようなことは絶対になく、無口で口下手なごく普通の生徒だった。

2021.06.15

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#002-2 野球酷い時にはセンターからライトまでの数十メートルの間、ビンタを受け続けたこともあった。そうして耐えて努力し続けたが、レギュラーにはなれなかった。人生最初の挫折といっていい。 ほとんどの人間が経験する最初の現実― ヒーローになれると思っていたのになれない自分がいる。その現実を受け入れ、一歩、大人に近づかなければならない悲しい瞬間。 しかし、翔はその現実を素直に認め、受け止めた。だが、この少年が少し違っていたのは、そこで終らなかったことだ。野球ではヒーローになれなくても、自分には違う可能性があると信じた。 とはいえ、この時点では何も見えていなかった。野球という人生の目標が消えた今、これから自分が何を目指したらいいのか分からない。具体的な道は見えていなかった。

2021.06.15

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#002-1 野球輝咲翔は1973年11月15日、埼玉県草加市に公務員の父、専業主婦の母、3人の兄という、ごく普通の家庭に生まれた。 兄たちとは9歳、5歳、3歳と年が離れていたことから喧嘩することも少なく、両親からも可愛がられて育った。そのため性格的には和やかな、オットリした人間が形成された。 翔が青春時代、最も打ち込んだのは野球― 次男がやっていたことから影響を受けて物心つく頃から始めた。かなりの素質はあったようだ。リトルリーグで不動のエースで4番。高校は埼玉県下で強豪校といわれる川口中央工業へ野球で入った。将来はプロ野球へという夢を抱いて…。 だが、ほとんどの人間の前に立ち塞がる〝青春の壁〟は、少年・翔の前にも立ちはだかった。地元では不動のエースで4番だったが、県内の優秀選手が集まる強豪校ではレギュラーにもなれなかった。 それでも翔は卒業するまでの間、片道40分の高校までの距離を自転車で通いながら、諦めることなく全力で野球に取り組んだ。帰宅後のランニングは毎日怠らなかったし、一年生の頃には体育会系特有の先輩からの体罰にも耐えた。

2021.06.15

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#001-4 総帥「大連って、中国の大連ですか?」 「うん」 「な、何でまたそんな…」 「この間、中国でビジネスを展開している人に誘われて大連に行ったんだけど、日本人もすごく多いんだ。そこで、この街で日本スタイルのキャバクラやったら繁盛ると思う。成功するかどうか分かんないけど、やってみたいんだ」 「外国で、ましてや中国というリスクの高い国に店を出すなんて…」 一同はあ然と青年の言葉を聞いていた。そして思った。 (またいつもの病気が出たな…) 更に一同は思った。 (一度言い出したら聞かない人だからな…) 幹部会はこの青年の提案を了承・可決した。 そして半年後、青年の言葉は現実のものとなり「K大連」はオープンし、大盛況を迎えたのである。 この大業を成し遂げた青年こそ、30代にしてナイトビジネスからアパレル、旅行代理店、自動車販売業、IT関連ビジネスまで手掛ける、 「KIZAKIグループ」総帥・輝咲翔である。 だが、今でこそ、500人のスタッフを誇る企業の頂点に立つ翔だが、10年ほど前は町工場で働く、ごく普通の青年だった。

2021.05.23

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#001-3 総帥広さ20坪程の部屋では会議が行われ、青年はその上座にいた。 日焼けした褐色の肌に耳まで隠れる茶髪。11月には30歳を迎えるという年齢の割には童顔に見える純朴そうな顔。一見すると、どこにでもいる“イマドキの兄ちゃん”風で、無邪気さを秘めた子供の様な瞳が印象的だ。 会議は青年がオーナーを務めるキャバクラグループの月例会議だった。幹部たちは、売り上げやキャストたちの管理などについて、現在グループが抱えている課題とその対策案を報告していた。 このキャバクラグループは、都内には一店舗も店を持たず、千葉や埼玉などの首都圏で十数店舗を展開するという大成功を納めている異色の企業だった。 十数店舗を抱えるグループの幹部会なのだから、そこに抱える問題・課題は少なくはない。幹部たちはグループを維持していくための対策を必死で考え、会議に臨んでいた。 幹部たちが次々と発言する様を青年は無言のまま眺めていた。その子供の様な好奇心に富んだ瞳で。 報告が一通り終え、会議が途切れた時、青年は何の前触れもなく突如立ち上がった。 「僕から一つ提案があるんだけど」 一同は「何事だ」と言わんばかりに青年を見た。青年はその視線に臆することもなく淡々と言った。 「大連に店を出す」 「はっ!?」 突如、放たれたそのひと言に幹部たちは驚いた。

2021.05.23

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#001-2 総帥4ヶ月前―2003年7月、東京・六本木 陽も沈み“ネオン”という夜の陽が頭上に輝き出すと、不夜城といわれるこの街には、様々な人間が集まってくる。あたかも闇の中に灯る明かりに群がる浮塵虫のように… 政財界の人間が集うのが銀座なら、この街は芸能・マスコミ・広告業界など、いわゆる“ギョーカイ”の人間が集う街。接待から遊びまで… また、近隣に外国大使館や外資系企業が多いことから、外国人の姿も珍しくない。他にも意味もなくただやって来ては、クラブでひたすら踊り狂う無軌道な若者たち。更には、この街を主戦場とするキャバ嬢やホステス、ホストなどの“夜”を仕事とする人々や、夜の陰の主役・ヤクザたち。 だがその時は、まだ太陽の光が頭上から降り注ぐ午後2時。街の景色は夜とは一変し、家族連れや若いカップルで溢れていた。この4月に六本木ヒルズがオープンしたためだ。 その六本木ヒルズに程近いビルの一室に、青年はいた。

2021.05.23

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#001-1 総帥2003年11月、中国遼寧省大連市― この年の暮れ、大連のナイトビジネス界はある話題で沸き返っていた。それは大連初の日本企業による日本スタイルのキャバクラが誕生したからだ。 店の名は「K大連」。 高級感のある内装、そして教育が徹底されたプロのキャスト、黒服。そのスタイルは後進的だった大連のナイトビジネス界にとって大きな衝撃となった。 大連のナイトビジネス界は、この「K大連」に触発されて、それまでのシステム・サービスが一新され、大きく変化していくこととなる。 そんな海を挟んだ一大センセーショナルを巻き起こしたそもそもの始まりは、1人の日本人青年の思いついたようなひと言からだった…

2021.05.22

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